「自分の人生 定年なんか ありません」
こちらが今月の法語です。「60歳(今は65歳が多いかな)になってようやく会社から身を引けるわー」
よく聞きますね。最近では「再雇用」という形で会社に残られる方もおられますが。
定年制度があるのが社会通念ですね。
親という立場で考えれば、お子さんが社会人になったり、結婚されるなんてことが1つの節目でしょうか。
区切りや節目は様々にありますが、人生における「定年」はあるんでしょうか??
平均寿命とかが数字で出される昨今ですが、そんなのも当てになりませんよね。
いつ、どのような状況で、なんてことは誰にも分かりません。
ただ分かっているのは、必ず生まれた限りにおいては死ぬということです。
知っていることですけど、「自分の人生」として生きているでしょうか。
そもそも生まれたのも「縁」ですし、死ぬのも「縁」です。もちろん死ぬ身を生きていることが「因」で、死ぬ時が「縁」で、そして因(必ず死ぬ身)が成就して果(死ぬ)になるわけですが。
考えてみると、必ず死ぬ身を生きている訳ですから、この一瞬はとてつもなく重いですね、私だけ、一回だけ、誰にも代われず、二度とないですし。
くどくなりましたm(_ _)m
親鸞さまは、最後の一息まで煩悩は欠けることがなく、状況次第でなんとでもなってしまうのがこの身の事実だと仰いました。煩悩は無くならないんです\(◎o◎)/!
しかし、煩悩があるからこそ痛みを知り、悲しみや怒りをもって、共に生きようと言われました。一人で安穏とすることは無かったんですね。つまり、もうやるだけやったから座り込むということはなかったんでしょう。いや、座り込もうとする自分の弱さを知っていたと言うべきでしょうか・・・。
そう言えば、今年の報恩講にもお越し頂く予定ですが、渡邊誉さんが、
「死ぬまで生きよう」
と言われてたな。聞いておられた方から笑い声も起こりましたが、本当にその通りですね。この一瞬、定年なんてないし、燃え尽きるように生きたいですね。比べられないし、そもそも比べるもんじゃない。
そして、いつか分かりませんが、逝きましょう(o゚▽゚)o