本願寺の蓮如上人はこんな言葉を仰っておられました。
「神にも、馴れては、手ですべきことを足でするぞ」と、
丁寧にしていたことも、少しずつ慣れてくると、手でしていたことやすべきことを足でするようになる、ということです。日頃の態度、人に対してもそうです、自分に対してもです。思い当たることが多々あります(゚_゚;)
蓮如さんのお言葉を続けます。
「如来・聖人・善知識にも、なれ申すほど、御こころやすく思うな
り。馴れ申すほど、弥(いよいよ)、渇仰の心をふかくはこぶべき事
なる」
教示して下さる相手に対しても同様で、親しみが増すこと怠りがちになるのは聞くということです。「また同じことを・・・」と思いがちになりますし、自分に向けられた言葉であっても他人事のようになってしまいます。
「渇仰の心をふかくはこぶべき」と注意されています。これは、大事な場・人・言葉の前を素通りしてはいないだろうか、満たされているように思い違いをしてはいないだろうか、誤魔化してはならない、という意に思われます。
慣れは一つの動作をスムーズにという場合にはとても大切なことではありますが、それは絶えず疎かにしてしまう危険性も孕んでいることを忘れてはならないですね。
自分自身への言葉として書きました。
まだまだ寒い日が続きます。ご自愛下さい(^^)